立花道雪の生涯
大友宗麟を支えた忠義の士。雷に打たれても生還し、半身不随ながら輿に乗って戦場を駆けた「雷神」。立花宗茂の義父。
— 雷神 —
| 名前 | 立花道雪 |
|---|---|
| 本名・幼名 | 戸次鑑連 |
| 異名 | 雷神 |
| 生年 | 1513年 |
| 没年 | 1585年 |
| 出身 | 豊後(大分県) |
| 勢力 | 大友 |
| 役職 | 武将 |
大友宗麟を支えた忠義の士。雷に打たれても生還し、半身不随ながら輿に乗って戦場を駆けた「雷神」。立花宗茂の義父。
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戦国図鑑アプリを見る豊後国の大友家重臣・戸次鑑連として生まれ、大友家三代に仕えた。35歳の時に雷に打たれて下半身不随となるが、以後も輿に乗って戦場に出陣し、73歳で陣没するまで37回の合戦で一度も負けなかったとされる。
筑前立花山城を拠点として大友家の北九州支配を支え、毛利氏・秋月氏・龍造寺氏など周囲の敵と戦い続けた。晩年、高橋紹運の長男(後の立花宗茂)を養子に迎え、立花家の後継者を確保した後、1585年に陣中で病没。享年73。
「雷神」と恐れられた九州最強の武将。半身不随をものともせず、常に最前線で戦い続けた不屈の精神は敵味方の尊敬を集めた。家臣への愛情が深く、「不忠の者も使いようで忠臣になる」と語り、厳しくも温かい主従関係を築いた。
37戦無敗の伝説は誇張の可能性があるが、大友家の柱石として数多くの戦いで勝利を収めたのは事実。半身不随の原因が本当に落雷だったかも議論がある。
立花山城、戸次館
1585年9月11日、筑後高良山の陣中にて病没。享年73。最後まで戦場にあり続けた生涯は、武将の鑑と称された。
立花道雪は豊後(現在の大分県)の出身です。
立花道雪は耳川の戦いに参戦しています。
立花道雪は「雷神」と呼ばれています。
1585年9月11日、筑後高良山の陣中にて病没。享年73。最後まで戦場にあり続けた生涯は、武将の鑑と称された。
「雷にすら負けぬ、まして人間に負けるか」(伝承)